コミュニティの中での自分の存在価値

心理学・人生論
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こんにちは。
のすけです。

今回は「コミュニティの中での自分の存在価値」についてです。

趣味や好きなもののコミュニティにおいて自分がそこにいる価値を感じられず、
落ち込んだり離れたくなったりする書き込みを少し前に連続して目にする機会がありました。

そこで自分なりに思うところをお伝えできればなと思います。

結論としては

コミュニティの中で自分の存在価値はなくてもよい

と思っています。
まぁ当然あったら嬉しいですけどね。

それではなくてもよい理由などについて説明してまいります。

悩むケース

まずこの悩みが発生しやすいのは以下のケースだと思います。

  • 発信してみたが上手くいかなかった人
  • 発信して上手くいったが続けられなかった人

人間誰しも好きなものについては少なからず発信したくなると思いますので、
悩みが発生しやすいケースになってしまうことが多いかもしれませんね。

逆に以下のケースだとこの悩みは生まれにいくでしょう。

  • 受信に徹底したスタンスの人
  • 発信・活動し続けており、価値を自身でも認識できている人

元からこのスタンスの人は問題ないと思いますが、悩まないために0か100かみたいな活動スタンスを選ばなけばいけないわけでは当然ありません。

悩みが発生しやすい場合でも悩む必要はないよということですね。

なくてもよい理由

存在価値がなくても、存在してはいけないわけではないから

これは悩んでいない方には理解するのが難しいかもしれませんが、
「自分は必要とされてないのではないか」と考えると
「自分はここにいてはいけない」という思考に陥りやすいのです。

だから何かがうまくいってなくても意識的に「存在してはいけないわけではない」と自分でしっかり認識することが大事なのだと思います。

ちなみに存在価値がある方がいなくなっても、
きっと今までどおりコミュニティは動き変わらず動いていきます。

誰がいなくなっても、そのポジションに誰かが入りコミュニティは変わらず続いていくでしょう。
悲しみに暮れる人が多くても。ルールやメンツが多少変わったりはしても。
語弊を恐れずに言えば、誰がいなくなっても変わらないし、誰がいてもいいのです。

ということでどんなコミュニティでも気楽に楽しむのがよいです。
発信したり、受信したり。参加したり。見る専門でも。
ルールを守って、人に迷惑をかけない限りは完全自由なのですから。
迷惑をかけてくる人がいれば距離を置いたりブロックしたり自衛もしつつ。

存在価値を求めることが目的になると危険

これもかなり大事なポイントかもしれません。
存在価値がなければいけない、自分に価値があると思ってほしいという感情を持つと良くない結果を招きやすいのです。
正攻法だと有益なものを発信し続けなければいけないのですが、それができない場合に、

  • 盗用したものを発信する
  • 炎上狙いの発信をする
  • 評価されないことの不満を発信する

といった行動を取ってしまう可能性が高くなるからです。

価値があるかどうかは気にせず、なくても自分がやりたいことをやってたまたまそれが評価されたらラッキー・・・くらいがいいかもしれませんね

もちろん正攻法で頑張り続けてる人には全力のエールをお送りします!

まとめ

  • コミュニティの中で自分の存在価値はなくてもよい
  • 存在価値を求めると良くない道を選ぶ可能性がある

いかがでしたでしょうか。

私もtwitterでは自分で作った料理の写真など、特に需要や価値がなくてもアップしています笑
価値があるかどうかは外的評価なので、自分がやりたいことやって自分が楽しむのが一番大事だと思います。

それでは、また!

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